2月コラム
S40年卒 門田睦雄
毎週木曜日は、日経新聞スポーツ欄のコラム・「チェンジアップ」が楽しみだった。私の少年時代に、ジャイアンツを相手に日本シリーズを3連覇し、しかもその最終年は3連敗の後の4連勝という離れ業をやってのけた西鉄ライオンズ、その主力選手であった豊田泰光氏によるコラムで、もう足かけ16年も続く長期連載だった。これだけ続くということは、さぞ読者も多かったのだろう。野球界の題材を取り上げながらも、人間の生き方や、時の社会問題に敷衍する辛口の指摘には、私も同感することが多かった。紹介するエピソードは、自ずと西鉄ライオンズ時代のことが大半であったが、それが私の少年期と重なっているだけに、当時の記憶を甦らせるものでもあった。
このコラムで、彼が日本のプロ野球に対して、繰り返し主張してきたことが二つあった。一つは「飛びすぎるボールを止めて、世界標準のボールにしろ」だった。日本のプロ野球の中だけでホームランの数や高打率を誇っても、国際試合では通用しないこと、言うならグローバル化の時代に国内事情にこだわりすぎると、今でいう「ガラケー」になることを予言していた。また私の感想だが、飛びすぎるボールを使うのは、「ホームランがたくさん出て、点が入る試合を一般観衆は喜ぶ」という、経営者の野球ファンを軽く見た、皮相な解釈があったのではないだろうか。こんな経営者の考えの下で、ふらふらっと上がったフライがホームランになるような試合を、永い間見させられてきた観衆は不幸だった。世論の盛り上がりもあり、プロ野球は一昨年飛ばないボールを採用したが、再び揺り戻しがあって、コミッショナーが辞任したりという経緯があった。しかし飛びすぎるボールの弊害は広く認識されたことだろう。
更に彼には「騒がす、選手の一投一打に集中するスタンド、土のにおいのする天然芝のグランド・・・」を懐かしがる一面もあった。1回からトランペットを吹き鳴らし、打球音も聞こえなくする応援や、着色ジュースのような緑色の人工芝に反感を覚える私の気持ちも同じだ。投手が投げ打者が打つ瞬間には、球場が静まり返る米国の野球と比べると、日本の野球観戦ははなはだ集中力をそがれる。
豊田氏はその後、西鉄ライオンズからサンケイ・アトムズに移り、退団後産経新聞のスポーツ記事を書くようになった。これほどのコラムを書き続けた彼も、当初は随分苦労したそうだ。漢字を書けずに「忘れました」と同僚の記者に言ったところ、「覚えていたなら忘れるといってよいけれど、もともと覚えていないのだから、『知らない』だろう」と言われたエピソードも載っていた。こんなところからスタートして、永年継続し、多くの読者から心待ちされるコラムニストになった豊田泰光氏。当初の苦労と、それを乗り越える努力は、プロ野球選手の良い手本だろう。
このコラム「チェンジアップ」も昨年末に最終回を迎えた。今年79歳を迎えるとなると、後輩にバトンを託そうと思うのも、やむを得ないだろう。最終回記事に載った彼の写真は、さすがに肉体的衰えを隠し切れない。これまで長年コラムで楽しませてくれた、わが西鉄ライオンズの英雄に、心からのエールを送って、この文を締めくくりたい。
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