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久しぶりに地元でのクラス会に参加

S40年卒 白川昌美

 

皆様 ご無沙汰しています。朝晩めっきり冷え込んできましたが、お元気でお過ごしのことと思います。 去る9月19日、行橋で行われたクラス会に出席してきましたので、その概要を報告いたします。 参加者は恩師3名(今宮先生、無津呂先生、北川先生)他30名と盛大なクラス会でした。 丸テーブル6脚が用意されていて当方は北川先生の横に指定席となっていました。初めて参加した4名(当方含め)は自己紹介をしてから指定席に、そして初参加の私が乾杯の音頭をいきなり仰せつかり、和やかなスタートとなりました。 二次会のカラオケ(同級生がやっている店:ココ 魚町とは行橋駅前通りの反対側にある)もほとんど全員(恩師を除き)が参加する盛況ぶりでした。

 

 

翌日は棚田君に行橋市の歴史資料館コスメイト(彼は今、コスメイトの学芸員をしている)の案内をしてもらい行橋の歴史の楽しみがまた増えました。最後に、館内のレストランで昼食を一緒に食べて歴史館コスメイトを後にしました。 棚田君も書道家として腕を上げているのか、自筆の書で、開催中の守田蓑洲(さしゅう)特別展「明治の元勲を感動させた男」の案内文をしたためていました。(豊津、京都高校他で永年書道の教員をしていた由。)

棚田君の解説は更に続く、日本の槍の名手とよく聞く後藤又兵衛(一時行橋に居た。また、大阪夏の陣で死亡説と大分に落延びたと言う説あり。)の本物の槍の前では一段と名調子になってきた。今も燦然と輝き、数百年の時を経たとは思えない光沢を放っていたのを見ると本当に鉄でできているのかと思いたくなるほどであった。 45年振りに再会し、不思議と親しみが増してきた。

 

 

棚田君の解説抜粋:

行橋市歴史資料館は17日から、守田蓑洲(さしゅう)(1824~1910年)を紹介する特別展「明治の元勲を感動させた男」を開いている。 守田家は戦国時代の松山城(苅田町)主、杉氏の家臣の家柄で、蓑州は守田家27代当主。14歳で漢学者、村上仏山の私塾「水哉園」(行橋市)に入り、塾長を務めた。25歳で大庄屋となり、30~40代ごろ、祓川、今川に挟まれた「文久新地」干拓に尽力。地元の小学校創設のため資金援助し奨学金も出した。60代には杉家をまつる自宅裏山の松山神社を大改築した。  改築の際、杉家末えいで宮内省官僚の杉聴雨(ちょうう)が1894年、蓑洲に古希記念の寿賀帳寄贈を企画。当時の第2次伊藤博文内閣で法制局長官だった同市出身の末松謙澄、義父の伊藤首相ら、政府要人や文化人計153人の書、絵を集めて寿賀帳にまとめ蓑洲に贈った。寿賀帳は守田家に受け継がれ、今回初展示されている。伊藤が「春酒眉寿(しゅんしゅびじゅ)」(「祝長寿」の意)と書き、西郷従道海軍大臣と大山巌陸軍大臣も2人で「眉寿」と書いている。勝海舟、山県有朋らも書、日本画家の富岡鉄斎は絵を寄せている。自らも書画をたしなんだ蓑洲の書や絵など約100点も展示、お宝の山。

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